長いトンネル(02)
それから暫く経ったある日、職場の皆で
早朝のわかさぎ釣りに行くことになった。
一部の人の間で冬の恒例行事になっていたのだが、
色んな人に話をしているうち、ある年
職場の人がほとんど参加するような
大規模なイベントになってしまった。
私は前の年に参加していたけど、二月の寒い日
まだ真っ暗なうちからボートを漕ぎ出して
分厚い手袋に苦労しながら餌をつけ
寝ぼけ眼で釣竿を上げ下げするのは
―――これが意外と楽しい。
陽が登ると真っ白いもやが水面を滑っていくのが見える。
魚がかかる感触がプルプルと面白くて
夢中になって釣りをしていたら
水面の照り返しに顔を炙られ、昼ごろボートから
降りる頃には顔がパンパンにはれていた。
釣れたわかさぎはその場でてんぷらにして食べるのだが
さっきまで付けてた赤虫がお腹の中に見えても
見ないふりしてパクパク食べた。
たとえ顔がアンパンマンそっくりになっても
とても楽しい冬のイベントなのだ。
イベント前日の金曜日、私は休み時間を利用して
釣りで使う椅子を自作していた。
前年に普通の座布団をボートに敷いていたんだけど
お尻がじんじん冷えてしまい、腰が痛くなって
ずっと中腰でボートに乗っていたのだ。
その痛い経験を生かし、今年は快適なボート生活を送ろうと
職場に余っていたクッション材を利用して
暖かい箱椅子を作っていた。中に赤虫もしまえるよ!
中に赤虫もしまえるよ!凍らなくて便利だね!
とか独り言を言いながら上機嫌で布を切っていたら、
明日一緒に参加するOが側にやって来た。
「あ、いいもの作ってるなあ。材料余ったら
私の分も作っといてよ」
私はいいよと軽く答えて新しくクッション材を切った。
その位から私の頭がぼんやりしていて
はさみを持つ手もぶるぶる震え、どうしようもなく
ヤバイ状態だったのだが
イベントを楽しみにする心で浮き立っているのだと
自分を納得させようとしていた。
実は自分でも分かっていた。…風邪をひいたのだ。
よりによってイベント前日に、そしてものすごい勢いで
熱が上がっているのが分かった。
でも何とか(自分を)誤魔化せないかな、
治っちゃわないかな~と思いながら椅子を作っていたのだ。
残念ながら治っちゃわないのだが。
「Oは明日K君と来るんだっけ」
参加する気満々(休む気0)で私は聞いた。
「そうだよ。K君が3時半に迎えに来るんだ」
Oの自宅はわかさぎ釣りの池から最も遠く、
朝の5時集合となると
その位の時間にOの家を出発しなければならない。
寮に住んでいるK君が2時半に出発してOを拾い、
現地に集合するという寸法だ。
その後何か、大変だねとか喋った気がするが覚えていない。
多分私の喋りはうわごとみたいになっていたろうと思う。
ともかく何やら喋りながら作った箱椅子を
私はOに手渡した。
それはもしかしたら私の分の箱椅子であったかもしれない。
その位意識が朦朧としていたのだ。
***
椅子を作った日の終業後、
私は準備係のO君と一緒に食料の調達をした。
わかさぎ釣りをした後は岸辺でバーベキューをするのだ。
主だった材料は他の人が準備してくれるので、
一緒に調理できそうなものや調味料、
お菓子などが私たちの担当だった。
気を紛らすためになるべく調子に乗って
お菓子を好き放題にショッピングカートに放り込んでいたが
買い物が終わる頃には自らの限界を悟り
がっくり項垂れることになる。
…まぁ あかん。(※「もうだめだ」の意。名古屋弁)
私は「この食料をどうかよろしく」とO君に頼み
這いずるように帰宅した。
自分の声が頭の中でうわんうわん響いていた。
帰宅してからもユンケルを飲んで最後の抵抗を試みたが
やがて静かに力尽き、主催者に欠席の電話連絡を入れた。
イベント当日はとても良い天気だった。
寝室に差し込む二月の日差しを顔に受け
みんなは沢山わかさぎを釣れたかなと考えていた。
額に冷えピタ、脇の下にアイスノン。
結局熱は40度まで上がり、どう頑張っても
早朝のわかさぎ釣りなど無理だった。
昼過ぎに一度起きて水を飲んだが
それ以外は一日中眠っていた。
ボートに乗って釣りをする夢を見たりした。
薄明るく揺れる水面の下に銀色の群れが見え
しかし魚は一匹も釣れない。
***
翌日の日曜日には熱も大分下がった。
まだ少しゆらゆらする頭を抱え、パジャマのままで
足を投げ出してハウス食品劇場などを見ていた時だ。
彼から電話がかかってきた。
当時はまだ今ほど携帯が普及しておらず、
彼が電話嫌いだったこともあって
向こうから電話がかかってくることなどほとんど無かった。
彼はイベントに参加していたので
体調不良で休んだ私を心配してくれたのだろうか。
嬉しくてうきうきした声が出た。
彼が何か話し始める前から
「昨日はどうだった?」「わかさぎ沢山釣れた?」
と質問を重ねた。
しかし私は途中で口をつぐんだ。
私の質問に対する彼の口篭もるような返答に、
そして何かを切り出そうとして切り出せずにいる口調に
私は急激に胃の辺りがどしんと重くなるのを感じた。
どうしたの、と無理やり声を出したけど
本当はそんな事聞きたくなかった。
物凄く嫌な予感がした。恐かった。
落ち着いて聞いてほしい、と言われたのに
私はその時点でまんまと大パニックになってしまった。
何があったんだと聞きながら大泣きして
パジャマを片手で脱いでいた。
何処へでも出かけられる準備をしていたのだ。
受話器の向こうでわあわあ泣く私をなだめながら
彼は自分の持っている情報もあまり沢山は無いんだけど、
と前置いて、それから昨日あった事を話し出した。
昨日イベントが終わった帰り道に、K君の車が事故にあった。
Oを自宅まで送っていく途中だった。
居眠り運転だったらしい。
K君は鼻と指を折る怪我で、Oの方はもっと良くない状態らしい。
彼は私に、今病院に行ってもOは集中治療室にいて
会う事は出来ないから家にいなさいと言った。
後で分かったけど、事故の連絡を直後に受けていた彼は
すぐに病院に行って二人と家族に会っていた。
本当はもう少し詳しい情報を持っていたのだが
私が思ったより激しく動揺していたので
それ以上言うのを止めたそうだ。
Oはその時すでに危篤状態だったのだ。
***
イベントは午後二時ごろお開きになったそうだ。
わかさぎがちっとも釣れなかったり、
主催者がてんぷら鍋を忘れたりして
決してスムーズに進行した訳じゃないけど
それでも和気藹々のうちに終了し解散した。
K君はOを家に送っていくために車を走らせた。
助手席ではOがすっかり寝入っていたため
眠りの妨げにならないようにとカーステレオの音量を落とした。
二月とは思えないぽかぽか陽気に
K君は高速に上がってすぐ眠気を覚えた。
あともう少し走ればOの自宅近くのインターだったけど
K君は無理をせず、最寄のSAで休んで行こうと思ったのだ。
事故が起きたのはSAの僅か1km手前だった。
ブレーキ痕は無かった。見ていた人の話によると
K君の車は走行車線から吸い込まれるように路肩へ入り
ガードレールの継ぎ目に正面から突っ込んでいった。
ほんの二三秒目を瞑ったと思った、物凄い音で我に返ると
事故が起きてしまっていたとK君は病院で言ったそうだ。
ガードレールはフロントバンパーの真ん中から侵入して
後部座席まで突き抜けていた。
つまり車は縦半分に、運転席と助手席の間を
ガードレールで切断された形になる。
事故車両の写真を見た。のこぎりで切ったように
車体が切れている場所もあれば
引きちぎったように捩れている箇所もあった。
車とは思えない、まるで紙で出来ているみたいだった。
そうやって車内を駆け抜けたガードレールは
二三秒の間にOの頭の右側半分を持っていった。
***
詳しい話が聞けたのは休みの明けた月曜日だった。
職場では緊急でミーティングが行われ、
何故事故が起きたのか、そして今後事故を起こさないように
どうすべきかを皆で話し合った。
部長は事故が起きた日から病院につきっきりだった。
私はOと最後に喋った内容を思い出そうとしていた。
それは最後にしては日常的すぎて
思い出してちょっと涙が出たけど、少し笑いもした。
私以外の皆にはわかさぎ釣りの思い出があるのに
私は椅子作って、だってさ。
毎日は連続した巻物だと思っていたけど
実は一日一時と分割されたカードだった。
今日が終り、明日を捲ったら夜があった。
夜の次には捲るカードも無いかもしれない。
明日なんて初めからひとつも約束されていなかった事に
私はようやく気がついた。
Oの危篤状態は三日間続き、それから少し持ち直して
それでも予断を許さない重体の状態が一月続いた。
最初救急隊が現場に到着した時、事故の程度と損傷具合から
もう駄目だと思ったそうだ。
しかし救急隊員の呼びかけに、Oの指先がほんの少し反応を示した。
それで救急患者として病院に搬送されたのだ。
病院の医師からそう聞いた部長が嬉しそうに皆に報告した。
偶然そうなったのかもしれない、でもOが頑張ったに違いない。
…いけるかもしれない。
私はあらゆる何かに向かって祈った。
彼女がもう少し頑張れますように、この事故の結末が
死で終わる事がありませんように。
あんな会話が最後でありませんように。
誰からともなく折り始めた鶴が
休憩室の机の上に溜まっていった。
散らかるので折り鶴を入れるせんべい箱を設置したら
あっという間に一杯になってしまい
大きなダンボール箱を用意しなくてはならなくなった。
男職場でそんな事はしないと思っていたのに
独身の男の人達が寮で鶴を折ってきては
毎朝箱に入れていた。
この鶴は最終的に六千羽にもなった。
***
事故から二週間くらい経ったころ。
Oの脳は事故直後から頭部への衝撃で膨れあがり、
頭蓋骨の中に納まらなくなっていた。
だから今は頭蓋骨の上部分を外した状態で治療を受けているそうだと
毎日のように病院に通っている部長から聞いた。
…え、「頭蓋骨を外した状態」って?
私は一度神妙に頷いてから、慌てて二度聞きした。
Oのことを心配に思う気持ちもあったが
その時ばかりはただ純粋に不思議だった。
私も脳に詳しい訳じゃないけど知っている事だってある。
血、とかは出ないのか。脳漿、とかは何処にいったのか。
脳は水に浮いている豆腐のようなものだと習ったが、
豆腐本体だけで平気なものなのか。
…乾いたりとかしないのだろうか。
一体そんな事になっているOは大丈夫なのだろうか。
聞きたいことと、しかし聞いてもいいのだろうかという思いで
頭の中がかなり混乱した。
そうと聞いてきた部長も話しながら、何だか複雑な顔をしていた。
次めくるカードには一体何が出るのだろう。
先は全く見えない。
Oの意識はなかなか戻らなかった。
回復を待つ身としてその間何も手助け出来ないのは実に歯がゆい。
じりじりした気分で出来ることを探していると
Oのお母さんから部長づてに職場へお願いがあった。
「呼びかけテープ」を作ってほしいという。
Oのお母さんは毎日娘の枕元で呼びかけているが
なかなか反応が得られない。
なるべく沢山の、しかも知りあいの呼びかけが
意識回復の手助けになるそうなのだ。
これはやらないわけにはいくまい。
しかしやはり照れくさいので
小さな部屋にカセットレコーダーを置き
(病室にカセットしか持ち込めないそうなのだ)
それに向かって職場の皆が一人ずつメッセージを入れていった。
声を掛けたい事が色々あったはずなのに、いざレコーダーに
吹き込もうとすると口が動かなかった。
元気?も変だし大丈夫?もおかしい。
随分時間をかけた挙句、月並みな台詞を吹き込んで終わったと思う。
本当は言いたい事がひとつあった。
K君は無事だよ、だからOも早く良くなってねと。
しかしこれだけは言えない。
Oのお母さんはK君の事を ひどく憎んでいたからだ。
***
最初から先行きが不安だった。
Oの家族とK君は面識があったものの
特にこれといって悪意を持たれていた訳ではない。
…が、好意を持たれていた訳でもない。
迎えに行った時にちょっと挨拶をする程度で
いつもそれ以上の話にならなかった。
事故直後、K君はあまりの事に混乱してしまい
駆けつけたOの家族とろくに話が出来なかった。
K君は感情が表情に出にくいので
Oの家族にはそれが、事故を起こしておいて
ボーっと突っ立っている男に見えたのだ。
実際にこんな事故を起こしてしまったらどうだろう、
泣いたり喚いたり家族に謝ったり出来るだろうか。
ショックから逃れるために現実ではないと思い込み
K君のようにぼんやりとしてしまうのではないだろうか。
Oと日ごろから仲の良かったOのお兄さんの
怒りは凄まじかった、と
事故直後に病院に駆けつけたOの上司が言っていた。
Oのお母さんもK君の事を大声で罵っていた。
ただ一人だけ、Oのお父さんが大変冷静な人で
「娘が助手席で寝ていなかったら、
事故は起こらなかったかもしれない」と言ったそうだ。
Oのお兄さんとお母さんに大変な反感を買ったそうだが
身内でもなかなか言える事じゃないよな、と
上司は深い溜息をついた。
***
Oは事故から数え切れないくらい多くの手術を経て
二週間目の終わりか三週間目に、何と意識が戻った。
二三日持つか持たないかと言われていたのに
すごい回復力だと医者も驚いていたそうだ。
奇跡が起こったと思った。よく映画やドラマで起こるあれが
私達の元にも起きたのだと。
もう大丈夫だ。これで全てが上手くいく。
事故があった直後、私は病院にOを見舞いに行く夢を見た。
一般病室の扉を開けると、頭に包帯を巻いたOが窓辺にいて
K君と談笑している。
私はそれを見てその場に座り込み、大声で泣くのだ。
意識が戻ったOに会ったら、私は夢と同じように
安心して泣いてしまうだろうなあと思った。
しかし少し前に聞いたOの容態は決して
安心できるようなものではなかったはずだ。
その辺りが気になって部長に聞いたところ
(部長が病院の様子を伝える係りのようなものだった)
部長もOと会った訳ではないのでよく分からないが
Oのお母さんからの情報では
・脳に損傷を受けたため、危ぶまれていた半身不随だが
元気に両手両足を動かしているので多分大丈夫
・頭蓋骨はまだ外したままである
・頭以外の、例えば手足などはまったく無事である
・記憶がほとんどなくなっている
という事だった。
幾つかの物凄く気になる点があるが、
見舞いに行っても良いかと伺った所
Oのお母さんは是非娘に会ってやってほしい、
そして記憶を戻す手助けをしてほしい
と言っていたそうだ。
一日も待てなかった私はその日仕事が終わった後、
後輩のKちゃんと一緒にOに会いに行った。
その後何度も乗ることになるH駅行きの電車に乗って。
***
奇跡は起こると思っていた。
本気で祈れば、必死で抗えば、何かを絶ったり
何かを犠牲にしたり、ともかく全身全霊で念じれば
起きない奇跡は無いとさえ思っていた。
Oが死の淵から生還したのは確かに奇跡だった。
そして私は当時、奇跡が起これば問題解決と思っていた。
実際奇跡が起こるか、起こらないか、の二択ではなく
その度合いが問題になってくる。
或いはいくつの奇跡が重なるか。
私達二人は緊張して、病院に着くまでの間無言だった。
受付でOの病室を聞き、エレベーターに乗り込むと
ようやく顔を見合わせてちょっと笑った。
Oに会えるのが嬉しかった。時間は掛かるかもしれないが
きっと又元のように仕事をしたり、休憩したり
旅行に行ったり遊んだり出来る。
記憶がほとんど無いと言うが、もし仮に戻らなくても
もう一度私を覚えてもらおう。
最初に何と言って声をかけようか。
ここはやっぱり自己紹介からかなあ。
病室の扉をノックすると、Oのお母さんらしき人が出てきた。
Oのお母さんに会うのは初めてだったが、
全然Oに似ていなくて驚いた。控えめなOに対し
典型的な大阪のおばちゃん、といった感じのお母さんは
すぐに私達が会社の友人と分かり、大喜びで出迎えてくれた。
会ってやって会ってやって!と私達を病室へ
導こうとしたが、唐突に振り返り声を潜めた。
「ちょっと待ってや。あのな、
…あいつの話だけはせんといてな」
私達は黙って頷き、大丈夫ですと言った。
呼びかけテープにもK君の声は入れられなかった。
事故以来、お母さんはOにK君の話は一切していない、
まるでそんな人は最初から居なかったかのように。
この問題は時が経たないと解決しない。
K君を弁護したい気持ちは山ほどあったが
今どうこうしてはいけない事なのだ。
「●子さん●子さん、お友達が来たで」
Oの名前を呼びながらお母さんが先に入り、
次いで私達は恐る恐る中へ入った。
広い個室のベッドサイドには沢山の機器があり
そこから伸びたチューブに埋もれるようにOのお父さんがいて
落ち着いた笑顔で迎えてくれた。
そのお父さんの袖口のボタンを弄る
包帯を巻いた手があった。ベッドから伸びた青白い手。
「●子さん、この人誰や?お友達やで」
Oにそう聞きながらお母さんは振り返り、
お名前は?と私達に尋ねる。
私が名前を言い、Kちゃんも言った。
その名前を繰り返してOに話しかける。
ほら●子さん、○ちゃんと△ちゃんが来てくれたで。
そうしている間、私達はOから目が離せなかった。
顔に怪我をしているのは分かっていたから
覚悟はしてきたつもりだった。
だけどそれは怪我以前の問題だったのだ。
…この人は誰だろう?
無表情にボタンを弄っている彼女は
顔半分を包帯で覆い、額から上はさらしのようなもので
巻かれていた。包帯から出ている左の顔面には
目立った傷も無く、だから余計に不思議だった。
何も変わっていないはずのに
どうしてもこの人がOと思えないのだ。
ドラマでよく「記憶をなくした人」を見る。
あなたの名前は?家は?この人は誰?等聞かれた助演女優が
眉間にしわを寄せて「分からない…」と言う。
それを聞いてがっかりした顔をする主人公、
ごめんなさい、でもあなたの事、分からないのと
女優は申し訳なさそうな顔をする。
記憶を無くした人とは恥ずかしながら
そんな感じかな、と思っていた。
お母さんが嬉しそうに、これ誰や?と私を指差す。
知らん、とOが言う。
これは誰や?とKちゃんを指す。
知らん、とOが言う。
そしたらこれは誰や、とお父さんを指差すと
暫く間があっておっちゃん、と言う。
じゃ●子さん、これは?
お母さんが自分を指差す。Oは又少し黙って
分からん、と言う。
そこには忘れてしまった、どうしようという焦りも
思い出せなくて悔しいという苛立ちも
喪失感も悲壮感も無かった。
Oは誰の顔も見なかった。
ただ見るともなくボタンを見て、それを
ずっと指先でなぞっているだけだった。
***
Oはボタンをいじる傍ら、何度も頭に手をやり
頭の傷を包帯の上から掻こうとしていた。
お母さんはそれを幾度も制しながら
「掻いたらあかんて言ったやろ」と
Oの手をボタンまで導く。
するとOの興味はボタンに移り、又それをなぞりだすのだ。
「こんなんしてずっと弄ってるんやで、ところで●子さん
これは誰や、これは」
お母さんは自分を指差す。Oはお母さんの顔をチラッと見て
知らん、と言う。
「違うやろ、教えたやろー。お母さんやで、お母様やで」
「おかあさん」
「そうやお母さんや、昨日まで言えたやないの」
私は何を考えられるでもなく、ただニコニコと
その会話を見守っていた。それだけで許容一杯だった。
身内であるご両親の方がどれだけ一杯一杯だった事か、
だけどお母さんはひたすら気丈に振る舞っていて
それがたまらない気持ちになった。
本当は一方的にK君を責めたというOのお母さんを
私は良く思っていなかった。
私は仲の良い二人が大好きで、二人ともが大好きだった。
二人に早く良くなって欲しかった。
K君は大した怪我ではなかったとはいえ、
大した怪我ではなかったからこその傷が残った。
例えOが全快したとしても
これから先ずっと苦しまなくてはならない傷だ。
…今考えると青ざめるけど、当時はそんなK君の事も
少しは分かって欲しいと思っていたのだ。
だけどこの状況で何を理解しろと言えるだろう。
「又来てや!」というお母さんの言葉に
私達は頭を下げて病院を出た。
帰りの電車の中ではKちゃんと二人、
「…思ったよりもずっと元気そうだったね」と
話しながら帰った。
二人ともそう思い込みたかったのだ。
こういう言い方が適切かは分からないし、
誤解を招くかもしれないけど
当時の私が理解できる範疇の出来事ではなかったのだ。
『重体』と言えば少しも動けない状態、
意識が回復したと言えばもう大丈夫、
そんな安易なイメージだけで生きてきた私が
初めて捲った暗い夜のカード。
それは私の手に余り、だけど捨てられる物ではなかった。
一人でバスに乗り帰る道すがら
私は目の前に広がる道が
もう以前と同じではない事に気が付いた。
見えていたのに見ないふりをしていた道に
私の足は踏み込んでいた。
その暗い道の先に口をあける
長い長いトンネル。
(03へ続く)
早朝のわかさぎ釣りに行くことになった。
一部の人の間で冬の恒例行事になっていたのだが、
色んな人に話をしているうち、ある年
職場の人がほとんど参加するような
大規模なイベントになってしまった。
私は前の年に参加していたけど、二月の寒い日
まだ真っ暗なうちからボートを漕ぎ出して
分厚い手袋に苦労しながら餌をつけ
寝ぼけ眼で釣竿を上げ下げするのは
―――これが意外と楽しい。
陽が登ると真っ白いもやが水面を滑っていくのが見える。
魚がかかる感触がプルプルと面白くて
夢中になって釣りをしていたら
水面の照り返しに顔を炙られ、昼ごろボートから
降りる頃には顔がパンパンにはれていた。
釣れたわかさぎはその場でてんぷらにして食べるのだが
さっきまで付けてた赤虫がお腹の中に見えても
見ないふりしてパクパク食べた。
たとえ顔がアンパンマンそっくりになっても
とても楽しい冬のイベントなのだ。
イベント前日の金曜日、私は休み時間を利用して
釣りで使う椅子を自作していた。
前年に普通の座布団をボートに敷いていたんだけど
お尻がじんじん冷えてしまい、腰が痛くなって
ずっと中腰でボートに乗っていたのだ。
その痛い経験を生かし、今年は快適なボート生活を送ろうと
職場に余っていたクッション材を利用して
暖かい箱椅子を作っていた。中に赤虫もしまえるよ!
中に赤虫もしまえるよ!凍らなくて便利だね!
とか独り言を言いながら上機嫌で布を切っていたら、
明日一緒に参加するOが側にやって来た。
「あ、いいもの作ってるなあ。材料余ったら
私の分も作っといてよ」
私はいいよと軽く答えて新しくクッション材を切った。
その位から私の頭がぼんやりしていて
はさみを持つ手もぶるぶる震え、どうしようもなく
ヤバイ状態だったのだが
イベントを楽しみにする心で浮き立っているのだと
自分を納得させようとしていた。
実は自分でも分かっていた。…風邪をひいたのだ。
よりによってイベント前日に、そしてものすごい勢いで
熱が上がっているのが分かった。
でも何とか(自分を)誤魔化せないかな、
治っちゃわないかな~と思いながら椅子を作っていたのだ。
残念ながら治っちゃわないのだが。
「Oは明日K君と来るんだっけ」
参加する気満々(休む気0)で私は聞いた。
「そうだよ。K君が3時半に迎えに来るんだ」
Oの自宅はわかさぎ釣りの池から最も遠く、
朝の5時集合となると
その位の時間にOの家を出発しなければならない。
寮に住んでいるK君が2時半に出発してOを拾い、
現地に集合するという寸法だ。
その後何か、大変だねとか喋った気がするが覚えていない。
多分私の喋りはうわごとみたいになっていたろうと思う。
ともかく何やら喋りながら作った箱椅子を
私はOに手渡した。
それはもしかしたら私の分の箱椅子であったかもしれない。
その位意識が朦朧としていたのだ。
***
椅子を作った日の終業後、
私は準備係のO君と一緒に食料の調達をした。
わかさぎ釣りをした後は岸辺でバーベキューをするのだ。
主だった材料は他の人が準備してくれるので、
一緒に調理できそうなものや調味料、
お菓子などが私たちの担当だった。
気を紛らすためになるべく調子に乗って
お菓子を好き放題にショッピングカートに放り込んでいたが
買い物が終わる頃には自らの限界を悟り
がっくり項垂れることになる。
…まぁ あかん。(※「もうだめだ」の意。名古屋弁)
私は「この食料をどうかよろしく」とO君に頼み
這いずるように帰宅した。
自分の声が頭の中でうわんうわん響いていた。
帰宅してからもユンケルを飲んで最後の抵抗を試みたが
やがて静かに力尽き、主催者に欠席の電話連絡を入れた。
イベント当日はとても良い天気だった。
寝室に差し込む二月の日差しを顔に受け
みんなは沢山わかさぎを釣れたかなと考えていた。
額に冷えピタ、脇の下にアイスノン。
結局熱は40度まで上がり、どう頑張っても
早朝のわかさぎ釣りなど無理だった。
昼過ぎに一度起きて水を飲んだが
それ以外は一日中眠っていた。
ボートに乗って釣りをする夢を見たりした。
薄明るく揺れる水面の下に銀色の群れが見え
しかし魚は一匹も釣れない。
***
翌日の日曜日には熱も大分下がった。
まだ少しゆらゆらする頭を抱え、パジャマのままで
足を投げ出してハウス食品劇場などを見ていた時だ。
彼から電話がかかってきた。
当時はまだ今ほど携帯が普及しておらず、
彼が電話嫌いだったこともあって
向こうから電話がかかってくることなどほとんど無かった。
彼はイベントに参加していたので
体調不良で休んだ私を心配してくれたのだろうか。
嬉しくてうきうきした声が出た。
彼が何か話し始める前から
「昨日はどうだった?」「わかさぎ沢山釣れた?」
と質問を重ねた。
しかし私は途中で口をつぐんだ。
私の質問に対する彼の口篭もるような返答に、
そして何かを切り出そうとして切り出せずにいる口調に
私は急激に胃の辺りがどしんと重くなるのを感じた。
どうしたの、と無理やり声を出したけど
本当はそんな事聞きたくなかった。
物凄く嫌な予感がした。恐かった。
落ち着いて聞いてほしい、と言われたのに
私はその時点でまんまと大パニックになってしまった。
何があったんだと聞きながら大泣きして
パジャマを片手で脱いでいた。
何処へでも出かけられる準備をしていたのだ。
受話器の向こうでわあわあ泣く私をなだめながら
彼は自分の持っている情報もあまり沢山は無いんだけど、
と前置いて、それから昨日あった事を話し出した。
昨日イベントが終わった帰り道に、K君の車が事故にあった。
Oを自宅まで送っていく途中だった。
居眠り運転だったらしい。
K君は鼻と指を折る怪我で、Oの方はもっと良くない状態らしい。
彼は私に、今病院に行ってもOは集中治療室にいて
会う事は出来ないから家にいなさいと言った。
後で分かったけど、事故の連絡を直後に受けていた彼は
すぐに病院に行って二人と家族に会っていた。
本当はもう少し詳しい情報を持っていたのだが
私が思ったより激しく動揺していたので
それ以上言うのを止めたそうだ。
Oはその時すでに危篤状態だったのだ。
***
イベントは午後二時ごろお開きになったそうだ。
わかさぎがちっとも釣れなかったり、
主催者がてんぷら鍋を忘れたりして
決してスムーズに進行した訳じゃないけど
それでも和気藹々のうちに終了し解散した。
K君はOを家に送っていくために車を走らせた。
助手席ではOがすっかり寝入っていたため
眠りの妨げにならないようにとカーステレオの音量を落とした。
二月とは思えないぽかぽか陽気に
K君は高速に上がってすぐ眠気を覚えた。
あともう少し走ればOの自宅近くのインターだったけど
K君は無理をせず、最寄のSAで休んで行こうと思ったのだ。
事故が起きたのはSAの僅か1km手前だった。
ブレーキ痕は無かった。見ていた人の話によると
K君の車は走行車線から吸い込まれるように路肩へ入り
ガードレールの継ぎ目に正面から突っ込んでいった。
ほんの二三秒目を瞑ったと思った、物凄い音で我に返ると
事故が起きてしまっていたとK君は病院で言ったそうだ。
ガードレールはフロントバンパーの真ん中から侵入して
後部座席まで突き抜けていた。
つまり車は縦半分に、運転席と助手席の間を
ガードレールで切断された形になる。
事故車両の写真を見た。のこぎりで切ったように
車体が切れている場所もあれば
引きちぎったように捩れている箇所もあった。
車とは思えない、まるで紙で出来ているみたいだった。
そうやって車内を駆け抜けたガードレールは
二三秒の間にOの頭の右側半分を持っていった。
***
詳しい話が聞けたのは休みの明けた月曜日だった。
職場では緊急でミーティングが行われ、
何故事故が起きたのか、そして今後事故を起こさないように
どうすべきかを皆で話し合った。
部長は事故が起きた日から病院につきっきりだった。
私はOと最後に喋った内容を思い出そうとしていた。
それは最後にしては日常的すぎて
思い出してちょっと涙が出たけど、少し笑いもした。
私以外の皆にはわかさぎ釣りの思い出があるのに
私は椅子作って、だってさ。
毎日は連続した巻物だと思っていたけど
実は一日一時と分割されたカードだった。
今日が終り、明日を捲ったら夜があった。
夜の次には捲るカードも無いかもしれない。
明日なんて初めからひとつも約束されていなかった事に
私はようやく気がついた。
Oの危篤状態は三日間続き、それから少し持ち直して
それでも予断を許さない重体の状態が一月続いた。
最初救急隊が現場に到着した時、事故の程度と損傷具合から
もう駄目だと思ったそうだ。
しかし救急隊員の呼びかけに、Oの指先がほんの少し反応を示した。
それで救急患者として病院に搬送されたのだ。
病院の医師からそう聞いた部長が嬉しそうに皆に報告した。
偶然そうなったのかもしれない、でもOが頑張ったに違いない。
…いけるかもしれない。
私はあらゆる何かに向かって祈った。
彼女がもう少し頑張れますように、この事故の結末が
死で終わる事がありませんように。
あんな会話が最後でありませんように。
誰からともなく折り始めた鶴が
休憩室の机の上に溜まっていった。
散らかるので折り鶴を入れるせんべい箱を設置したら
あっという間に一杯になってしまい
大きなダンボール箱を用意しなくてはならなくなった。
男職場でそんな事はしないと思っていたのに
独身の男の人達が寮で鶴を折ってきては
毎朝箱に入れていた。
この鶴は最終的に六千羽にもなった。
***
事故から二週間くらい経ったころ。
Oの脳は事故直後から頭部への衝撃で膨れあがり、
頭蓋骨の中に納まらなくなっていた。
だから今は頭蓋骨の上部分を外した状態で治療を受けているそうだと
毎日のように病院に通っている部長から聞いた。
…え、「頭蓋骨を外した状態」って?
私は一度神妙に頷いてから、慌てて二度聞きした。
Oのことを心配に思う気持ちもあったが
その時ばかりはただ純粋に不思議だった。
私も脳に詳しい訳じゃないけど知っている事だってある。
血、とかは出ないのか。脳漿、とかは何処にいったのか。
脳は水に浮いている豆腐のようなものだと習ったが、
豆腐本体だけで平気なものなのか。
…乾いたりとかしないのだろうか。
一体そんな事になっているOは大丈夫なのだろうか。
聞きたいことと、しかし聞いてもいいのだろうかという思いで
頭の中がかなり混乱した。
そうと聞いてきた部長も話しながら、何だか複雑な顔をしていた。
次めくるカードには一体何が出るのだろう。
先は全く見えない。
Oの意識はなかなか戻らなかった。
回復を待つ身としてその間何も手助け出来ないのは実に歯がゆい。
じりじりした気分で出来ることを探していると
Oのお母さんから部長づてに職場へお願いがあった。
「呼びかけテープ」を作ってほしいという。
Oのお母さんは毎日娘の枕元で呼びかけているが
なかなか反応が得られない。
なるべく沢山の、しかも知りあいの呼びかけが
意識回復の手助けになるそうなのだ。
これはやらないわけにはいくまい。
しかしやはり照れくさいので
小さな部屋にカセットレコーダーを置き
(病室にカセットしか持ち込めないそうなのだ)
それに向かって職場の皆が一人ずつメッセージを入れていった。
声を掛けたい事が色々あったはずなのに、いざレコーダーに
吹き込もうとすると口が動かなかった。
元気?も変だし大丈夫?もおかしい。
随分時間をかけた挙句、月並みな台詞を吹き込んで終わったと思う。
本当は言いたい事がひとつあった。
K君は無事だよ、だからOも早く良くなってねと。
しかしこれだけは言えない。
Oのお母さんはK君の事を ひどく憎んでいたからだ。
***
最初から先行きが不安だった。
Oの家族とK君は面識があったものの
特にこれといって悪意を持たれていた訳ではない。
…が、好意を持たれていた訳でもない。
迎えに行った時にちょっと挨拶をする程度で
いつもそれ以上の話にならなかった。
事故直後、K君はあまりの事に混乱してしまい
駆けつけたOの家族とろくに話が出来なかった。
K君は感情が表情に出にくいので
Oの家族にはそれが、事故を起こしておいて
ボーっと突っ立っている男に見えたのだ。
実際にこんな事故を起こしてしまったらどうだろう、
泣いたり喚いたり家族に謝ったり出来るだろうか。
ショックから逃れるために現実ではないと思い込み
K君のようにぼんやりとしてしまうのではないだろうか。
Oと日ごろから仲の良かったOのお兄さんの
怒りは凄まじかった、と
事故直後に病院に駆けつけたOの上司が言っていた。
Oのお母さんもK君の事を大声で罵っていた。
ただ一人だけ、Oのお父さんが大変冷静な人で
「娘が助手席で寝ていなかったら、
事故は起こらなかったかもしれない」と言ったそうだ。
Oのお兄さんとお母さんに大変な反感を買ったそうだが
身内でもなかなか言える事じゃないよな、と
上司は深い溜息をついた。
***
Oは事故から数え切れないくらい多くの手術を経て
二週間目の終わりか三週間目に、何と意識が戻った。
二三日持つか持たないかと言われていたのに
すごい回復力だと医者も驚いていたそうだ。
奇跡が起こったと思った。よく映画やドラマで起こるあれが
私達の元にも起きたのだと。
もう大丈夫だ。これで全てが上手くいく。
事故があった直後、私は病院にOを見舞いに行く夢を見た。
一般病室の扉を開けると、頭に包帯を巻いたOが窓辺にいて
K君と談笑している。
私はそれを見てその場に座り込み、大声で泣くのだ。
意識が戻ったOに会ったら、私は夢と同じように
安心して泣いてしまうだろうなあと思った。
しかし少し前に聞いたOの容態は決して
安心できるようなものではなかったはずだ。
その辺りが気になって部長に聞いたところ
(部長が病院の様子を伝える係りのようなものだった)
部長もOと会った訳ではないのでよく分からないが
Oのお母さんからの情報では
・脳に損傷を受けたため、危ぶまれていた半身不随だが
元気に両手両足を動かしているので多分大丈夫
・頭蓋骨はまだ外したままである
・頭以外の、例えば手足などはまったく無事である
・記憶がほとんどなくなっている
という事だった。
幾つかの物凄く気になる点があるが、
見舞いに行っても良いかと伺った所
Oのお母さんは是非娘に会ってやってほしい、
そして記憶を戻す手助けをしてほしい
と言っていたそうだ。
一日も待てなかった私はその日仕事が終わった後、
後輩のKちゃんと一緒にOに会いに行った。
その後何度も乗ることになるH駅行きの電車に乗って。
***
奇跡は起こると思っていた。
本気で祈れば、必死で抗えば、何かを絶ったり
何かを犠牲にしたり、ともかく全身全霊で念じれば
起きない奇跡は無いとさえ思っていた。
Oが死の淵から生還したのは確かに奇跡だった。
そして私は当時、奇跡が起これば問題解決と思っていた。
実際奇跡が起こるか、起こらないか、の二択ではなく
その度合いが問題になってくる。
或いはいくつの奇跡が重なるか。
私達二人は緊張して、病院に着くまでの間無言だった。
受付でOの病室を聞き、エレベーターに乗り込むと
ようやく顔を見合わせてちょっと笑った。
Oに会えるのが嬉しかった。時間は掛かるかもしれないが
きっと又元のように仕事をしたり、休憩したり
旅行に行ったり遊んだり出来る。
記憶がほとんど無いと言うが、もし仮に戻らなくても
もう一度私を覚えてもらおう。
最初に何と言って声をかけようか。
ここはやっぱり自己紹介からかなあ。
病室の扉をノックすると、Oのお母さんらしき人が出てきた。
Oのお母さんに会うのは初めてだったが、
全然Oに似ていなくて驚いた。控えめなOに対し
典型的な大阪のおばちゃん、といった感じのお母さんは
すぐに私達が会社の友人と分かり、大喜びで出迎えてくれた。
会ってやって会ってやって!と私達を病室へ
導こうとしたが、唐突に振り返り声を潜めた。
「ちょっと待ってや。あのな、
…あいつの話だけはせんといてな」
私達は黙って頷き、大丈夫ですと言った。
呼びかけテープにもK君の声は入れられなかった。
事故以来、お母さんはOにK君の話は一切していない、
まるでそんな人は最初から居なかったかのように。
この問題は時が経たないと解決しない。
K君を弁護したい気持ちは山ほどあったが
今どうこうしてはいけない事なのだ。
「●子さん●子さん、お友達が来たで」
Oの名前を呼びながらお母さんが先に入り、
次いで私達は恐る恐る中へ入った。
広い個室のベッドサイドには沢山の機器があり
そこから伸びたチューブに埋もれるようにOのお父さんがいて
落ち着いた笑顔で迎えてくれた。
そのお父さんの袖口のボタンを弄る
包帯を巻いた手があった。ベッドから伸びた青白い手。
「●子さん、この人誰や?お友達やで」
Oにそう聞きながらお母さんは振り返り、
お名前は?と私達に尋ねる。
私が名前を言い、Kちゃんも言った。
その名前を繰り返してOに話しかける。
ほら●子さん、○ちゃんと△ちゃんが来てくれたで。
そうしている間、私達はOから目が離せなかった。
顔に怪我をしているのは分かっていたから
覚悟はしてきたつもりだった。
だけどそれは怪我以前の問題だったのだ。
…この人は誰だろう?
無表情にボタンを弄っている彼女は
顔半分を包帯で覆い、額から上はさらしのようなもので
巻かれていた。包帯から出ている左の顔面には
目立った傷も無く、だから余計に不思議だった。
何も変わっていないはずのに
どうしてもこの人がOと思えないのだ。
ドラマでよく「記憶をなくした人」を見る。
あなたの名前は?家は?この人は誰?等聞かれた助演女優が
眉間にしわを寄せて「分からない…」と言う。
それを聞いてがっかりした顔をする主人公、
ごめんなさい、でもあなたの事、分からないのと
女優は申し訳なさそうな顔をする。
記憶を無くした人とは恥ずかしながら
そんな感じかな、と思っていた。
お母さんが嬉しそうに、これ誰や?と私を指差す。
知らん、とOが言う。
これは誰や?とKちゃんを指す。
知らん、とOが言う。
そしたらこれは誰や、とお父さんを指差すと
暫く間があっておっちゃん、と言う。
じゃ●子さん、これは?
お母さんが自分を指差す。Oは又少し黙って
分からん、と言う。
そこには忘れてしまった、どうしようという焦りも
思い出せなくて悔しいという苛立ちも
喪失感も悲壮感も無かった。
Oは誰の顔も見なかった。
ただ見るともなくボタンを見て、それを
ずっと指先でなぞっているだけだった。
***
Oはボタンをいじる傍ら、何度も頭に手をやり
頭の傷を包帯の上から掻こうとしていた。
お母さんはそれを幾度も制しながら
「掻いたらあかんて言ったやろ」と
Oの手をボタンまで導く。
するとOの興味はボタンに移り、又それをなぞりだすのだ。
「こんなんしてずっと弄ってるんやで、ところで●子さん
これは誰や、これは」
お母さんは自分を指差す。Oはお母さんの顔をチラッと見て
知らん、と言う。
「違うやろ、教えたやろー。お母さんやで、お母様やで」
「おかあさん」
「そうやお母さんや、昨日まで言えたやないの」
私は何を考えられるでもなく、ただニコニコと
その会話を見守っていた。それだけで許容一杯だった。
身内であるご両親の方がどれだけ一杯一杯だった事か、
だけどお母さんはひたすら気丈に振る舞っていて
それがたまらない気持ちになった。
本当は一方的にK君を責めたというOのお母さんを
私は良く思っていなかった。
私は仲の良い二人が大好きで、二人ともが大好きだった。
二人に早く良くなって欲しかった。
K君は大した怪我ではなかったとはいえ、
大した怪我ではなかったからこその傷が残った。
例えOが全快したとしても
これから先ずっと苦しまなくてはならない傷だ。
…今考えると青ざめるけど、当時はそんなK君の事も
少しは分かって欲しいと思っていたのだ。
だけどこの状況で何を理解しろと言えるだろう。
「又来てや!」というお母さんの言葉に
私達は頭を下げて病院を出た。
帰りの電車の中ではKちゃんと二人、
「…思ったよりもずっと元気そうだったね」と
話しながら帰った。
二人ともそう思い込みたかったのだ。
こういう言い方が適切かは分からないし、
誤解を招くかもしれないけど
当時の私が理解できる範疇の出来事ではなかったのだ。
『重体』と言えば少しも動けない状態、
意識が回復したと言えばもう大丈夫、
そんな安易なイメージだけで生きてきた私が
初めて捲った暗い夜のカード。
それは私の手に余り、だけど捨てられる物ではなかった。
一人でバスに乗り帰る道すがら
私は目の前に広がる道が
もう以前と同じではない事に気が付いた。
見えていたのに見ないふりをしていた道に
私の足は踏み込んでいた。
その暗い道の先に口をあける
長い長いトンネル。
(03へ続く)
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